アポロンの呪い
カサンドラ症候群になってしまったみたいです。
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GW中の三連休、再び息子たっくが遊びに来てくれました。
楽しくすごしたんですが、4日の夜、二人でお酒を飲んでいたら(ハゲは下戸なのでコーラ)
話が変な方向に……
懐かしく、昔の(一緒に暮らしていた頃)話などしていたんですが、たっくの口調がだんだん恨みがましくなって来たんです。
要約すると、(ハゲと再婚するときに)
「何で俺を連れて行かなかったんだ?」
と。
「俺、オヤジ大嫌いで、母ちゃんっ子だったのに、母ちゃん大好きだったのに、なんでそんな俺を置いて、姉だけを連れてったんだ?」
聞けば、私が家を出ていった後はもちろん、家に居る時も私の居ないところで、父親に酷い暴力を受けていた。
でも私が居ると甘えさせてくれる。父親に酷い目に遭わされても、それが救いだった。
との事でした。
実は、ハゲと結婚する前、たっくに
「お母ちゃんな。再婚して岩手に行くことになったけど、たっくはどうする?もう、あっち行っちゃったら中々会えなくなるよ」
と、聞いたんです。
でもたっくの返事は
「今の友達と別れるのイヤだ」
と。
でも、当時たっくは小学校6年生です。
こんな重い話、理解出来る筈がありません。
“中々会えなくなるよ”も
“数ヵ月に1回ぐらいは会える”と受け取っていたかもしれません。
無理にでも連れて行った方がいいか?
悩みましたが、
たっくの父親に
「俺から娘も取って、この上息子まで連れて行かないでくれ」
と、懇願され、後ろ髪を引かれる思いで置いて来たのでした。
やっと再会出来たのはそれから5年後、たっくが17歳になった時です。
アスペババアのアスペパニックに耐えられなくなり、家出した時です。
それから更に10年、会えなかったんです。
その10年の間にも色々あったようです。
こんな事も云ってました。
「母ちゃんと姉ちゃんが
幸せに暮らしている間、俺は苦労したんだ。
何で俺を連れて来なかったんだ?」
たっくにとって、
無意味に暴力を振るう実の父親に比べたら、
血の繋がらない連れ子(娘)を受け入れ、そして、やはり血の繋がらない自分を喜んで迎えてくれるハゲが物凄く
イイ人に見えたのでしょう。
そんな家で暮らしている私と娘はこれ以上無い
幸せ者に思えたのでしょう。
実は、私自身も、両親が離婚して、私と母を捨てた父親に対して同じような気持ちを持っていました。
だから、たっくの気持ちは痛い程よくわかるんです。
そして、この恨み事は
私を苦しめてる訳でなく、
甘えてるんだ、って事もよく分かります。
まさか27にもなった大男が、
「お母ちゃ~ん♪」なんてダイレクトにベタベタ甘える訳にはいかないでしょう?
なので、これは、もしも私がたっくと暮らしていたら経験した筈の
「反抗期の甘え」なんだろうな。と。
そして、「母ちゃん大好きだったのに」の言葉に、不覚にも泣いてしまいました。
嬉しいのと、そんな息子と離れてしまった後悔で。
でもな。たっく、
私と姉ちゃんが幸せだって言うのは
全くの思い違いだから!
たっくは気付いてたんでしょうか?
息子が凄みを出して母親をなじり、その母親は泣いている。
その光景を目の前にして
席を外すわけでも
怒るわけでも
狼狽えるわけでも無く
馬耳東風でテレビを観てるハゲの異様さに。
((((;゜Д゜)))
たっく
「母ちゃん、俺の目を見ろ、俺は物凄く怒ってるんだ、恐いだろう?」
( `д´)
いや、ごめん、たっく。
あんたの、私似の、
糸みたいに細い目なんかより
私の横に居る
アスペ仏像の方が100万倍恐いんですけど!
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
でも
「母ちゃん大好きだった」って
その言葉でもう
嬉しくてどうにかなりそうですよ。
(///∇///)
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