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アポロンの呪い

カサンドラ症候群になってしまったみたいです。

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この半年で私のカサンドラ症候群もかなり改善されました。

このブログで毒を吐き出したのもあるのでしょうが、
カサンドラの同志の皆様のコメントのお陰だと思います。
“悩んでいるのは私だけじゃない!”という連帯感というか安心感というか……本当にありがとうございます。


とりあえずメンタル面はかなり安定しています。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)による雪道恐怖症は今年、雪道や凍結路面になる程寒くならなかったのでまだ治ったのかどうか解りません。
でも
“スタッドレスタイヤのCM観ると叫びだしたくなる程怖い”
って云うのは無くなりました。

低くなった自己評価は段々高くなってきましたし、
自尊心もハゲを心の中でコケにしているウチに(笑)取り戻しつつあります。

仕事場でも結構喋れるようになりましたし、
言葉も割りとすんなり出て来るようになりました。
一時期、言語障害にでもなったのか?と心底落ち込んだのか嘘のようです。

ただ、本当に治って来ているのか、
単に波があって、今は安定している時期に入っているだけなのか

長い目で見ないと分からないので、まだまだこのブログは続けて行きます。


私のカサンドラ症候群が完治したとしても、パートナーのアスペルガーが改善する訳ではありませんし。

事実、アスペルガー宣告しても何の変化もありません。

失敗だったか……。



























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去年の夏の事です。

みっくが突然
「結婚する。九州に行く」
と、言い出しました。
結婚するのは良いとして何でまたそんなに絶望的に遠い所へ……

下手をしたらもう一生会えなくなるかもしれない。

でも逆にこの選択は良かったのかもしれません。
もう、これでみっくがババアにイジメられる事は無いでしょう。

それでも私は
みっくはババアに追い出された感がいつまでも消えません。

しかしそんな事を云ってられませんでした。
みっくがその話をしてから九州に行くまで1ヶ月も無かったのです。

悔いが残らないように、残された時間を大切に使おう。

そう思ったのに何をしたら良いのかわからない。
父親と別れた時の事、母親が死んだ時の事がフラッシュバックします。
結局は何をしても悔いが残ると云う事を私は知っています。

それに、みっくが居なくなってしまうと、マトモに会話出来る人が誰も居なくなる

27年間一緒にいたのに。
居なくなる。

寂しいのは勿論ですが
それよりも物凄い恐怖が襲って来ました。

ハゲやババアの奇行にも正気を保てたのはみっくがいたからで、二人でこの狂った家での酷い仕打ちに耐えて来たのです。

まるで体が半分になってしまうようなそんな感覚を覚えました。

そして、ある日、息が酷く苦しいのに気付きました。このまま酸欠で死んでしまうのではないか?と思う程酷いものでした。後にそれはパニック障害だと解るのですが、当時はそれがわかりませんでした。

そしてみっくが九州に旅立った後、それまで堪えていたものが崩れるように心身ともに壊れて行きました。

まず、酷い鬱になりました。
これまで鬱になった事は度々あったのですが、波があって、暫くすると治っていたのですが、ずっと継続して続くのです。

それと不眠。
不思議な事に2、3時間しか眠れないのに、日中全く眠くならないのです。

体重も落ちました。

食生活が完全にハゲ寄りになったからというのもありますし、食べる事に興味が無くなりました。

そして

生きる事に興味が無くなりました。

※そのあたりからひょんな事からハゲがアスペルガー症候群ではないか?と云う疑惑が出てきたのですが、アスペルガー症候群を詳しく知らなかった私はあまり気にもとめませんでした。
「ふーん、やっぱりねー」ぐらいにしか思わなかったのです。

まさかこの状態とそれが関係するものだとは夢にも思わず、段々マトモな思考が奪われて行きました。

↓↓↓

私はダメな人間なんだ落伍者なんだ生きていちゃいけない私が生きてても誰も喜ばない何も出来ない最低の人間だほらこんなに苦しいのに誰も助けてくれない嫌われている世の中全ての人から嫌われている私はクズだ生きてちゃいけない死んだ方がいい死のう。死ぬのこわい死ぬのがこわいから自分から死のう

↑↑↑

当時の私の感情を表現するとこんな感じです。

本当に今思えば壊れていました。

その後、何とか立ち直ったのは
以前も書きましたが、偶然ネットで“カサンドラ症候群”の名称を見つけて、その事が書かれている記事を読んだからです。


世の中には
自分がカサンドラ症候群だと気付かずに、パートナーがアスペルガー症候群だと気付かずに
最悪の選択を決断してしまう人も少なくないと思います。


私はたまたま運が良かったのでしょう。

それからアスペルガー症候群やカサンドラ症候群の事を調べまくり、カサンドラ症候群当事者やアスペルガー症候群当事者の書いたブログを読み漁る日々が始まりました。

人は悪意が無くても人を殺せるのです。
死んだ私を見てハゲは
「何で死んだんだろう?」としれっと云うに決まってます。
まさか自分が殺したなんて微塵も思わないのです。

ハゲがアスペルガー症候群だと気付く人がいても

脳の障害だから仕方ないで済まされるのです。

だから私は死にません。

アポロンの呪いをかけられたまま、呪いが解ける方法を模索しながら生きて行きます。




ご清聴ありがとうございました。
































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勿論、子供を返して貰おうと努力はしました。

しかし、何を云っても聞き入れないし、酷い時には暴れるのでどうしていいか解りませんでした。

そうこうしているうちに、子供はすっかり“ババアのウチの子”になってしまいました。

躾の為に叱っていると、ババアと、ババアと同居しているハゲの弟が飛んできて
「何をイジメているんだ!」と騒ぎたてます。
もう、この子は私の子じゃない。ヨソの子だと思おう。

そう決めました。

かなりはしょって書いてありますので、もしかして、読んでる方は
“この人、そんな事で諦めるなんて母親失格だな”
と思っているかもしれませんね。

でも、多勢に無勢です。
しかも相手は頭がオカシイ割りに近所に顔が利くんです。

騒ぐだけ私の評判は落ちていきます。

私の味方だと思っていたハゲも、事ある毎に
「子供を取られたのはお前のせいだ」と責めるようになりました。


そして、この事とは全く無関係だと思っていた
以前記事にした雪道恐怖症が酷くなりだしたのもこの頃からでした。


ハゲが
私の話を聞かない
会話が噛み合わない


などは結婚当初からありましたが、いわゆる、“釣った魚にエサをやらない”タイプの人なんだろう?
と思っていました。

悩み事を云っても
私に対してのアドバイスと云うよりは、その悩み事をネタにした
お前(私)が悪いと云った意味の無駄に長い大演説をドヤ顔をしながらするので、何か相談したり話し合ったりするのは避けていました。

(悩み事が解決しないどころか腹が立つので)

そんな時、何をしていた時だかもう忘れましたが、
ハゲがふと

「(結婚)するのは
誰でも良かった


と云ったのです。

怒りと悲しさと虚しさが混沌となり、滅茶苦茶にハゲをなじりました。

誰でも良かったんなら、何故私だったの?

こんな苦労をさせられて、結局はそれ?

“結婚出来なきゃ死ぬ”って云うのは何だったの?


でもハゲは自分が大変な事を云ってしまったというのに当たり前だとでもいうような様子で、私がショックでパニックを起こしているのを不思議そうに見ているだけでした。

結果私は自分の中で


ハゲは結婚しているというステイタスが欲しかっただけ。

それにたまたま私がひっかかった

結婚してみて(私を)気に入らなかったので人格や性格を無視している


と、この事を整理しました。
ハゲがアスペルガー症候群だとわかるまで、数年間、この考えはずっと変わりませんでした。

※つづく









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前の旦那と離婚して3年くらい経った頃だと思います。

ハゲと出逢いました。

その頃私は34歳で、娘のみっくは14歳でした。

当時私は結婚なんてもううんざりと考えていたんですが、
ハゲは
結婚を想定した話ばかりして
(私と)結婚出来なきゃ死ぬとまで言い出すので

“この人よっぽど私の事好きなんだな”

錯覚してしまいました。

ハゲの母親(アスペババア)がオカシイと言う話はその頃から聞いていました。
だから、当然、実家とは離れた所に住むものと思ったのですが、なんとハゲはなんと実家のすぐ近くの家を買いました。
(中古)

近くどころか、実家と新居の間は距離はあるんですが、畑しか無いため障害物が何も無い。

なので実家からは丸見えです。

案の定、アスペババアは
洗濯ものがどうのこうのだの
何処へ出掛けてたんだ?だの
こちらを監視して気に入らない事があるとすぐに文句を云ってきました。
また、何故か
私の事を著しく誤解している発言が目立ちましたが、
それは嫁イビリの為のネタを捏造しているんだろう。
そうまでして嫁イビリしたいなんて全く暇なババアだ。

と、特に気にせずにいましたし、私も無駄に気が強かったので
文句を云われる度に言い返していました。
みっくまで苛めるので黙っていられませんでしたから。

それに、ババアが文句を云って来ても、ハゲは黙ってしまって何もしませんし、
何もしない癖に
「もう精神的に限界だ」などとババアの猛攻に参っていました。

普通、嫁イビリというのは嫁だけ苛めるものですが、何故このババアは自分の息子まで苛めるのだろう?
と理解に苦しみました。

まあ、私は
学校でイジメに遭ったり
母親が亡くなったあと引き取られた家でイジメに遭ったり、
前の結婚では小姑達にイジメに遭ったり

と、イジメ慣れててすっかり性格がひねくれた揚げ句に無駄に精神的に強くなっていたので、
ババアが寝たきりになったら百倍返ししてやろう
等と、呑気に思っていました。

その頃はババアの異常さに気を取られて

ハゲの異常さには気がついていませんでした。

まあ、なんかもうメンタル弱い人だな~位にしか思っていなかったのです。

とは言え私自身もストレスになっていたのは事実です。

しかもその頃すでにハゲの子を妊娠してたので、つわりとババアで辛かったし、
余程生活が苦しいのか「妊娠した」と言ったのにも関わらず警備員(妊婦がやる仕事ではありません。危険ですから)やらされて、体はボロボロでした。
なので、
「このお腹の子はかわいそうだけど、途中で流産するだろう」
と思っていたのですが、そんな予想に反して流産せず産まれてきました。
しかし、産まれて来た子(座敷わらし)と暮らせたのは、彼女が2才の時までです。

ハゲも私も仕事があったので、仕事中はババアに子供の面倒を見て貰っていたのですが、
ある日、ババアが

「アンタ達には育てられないから!」と訳の判らない事を言い出し、仕事が終わっても子供を返してくれなくなりました。

子供に会えるのは休みの日だけです。
しかも

「お母さんの作ったものは食べちゃダメ」
「お母さんの買った服は着ちゃダメ」

と子供に云っていたらしく、
「お母さんの作ったごはんは不味いしお腹こわすからおばあちゃんが食べちゃダメだって言ってた」
「お母さんの買ったものなんか着るなって」
と子供に云われ愕然としました。

しかもババアは自分が無理矢理子供をとったと云うのに


「あの夫婦は子供もマトモに育てられなくて、押し付けていった」などと保育所や近所に吹聴していたのです。

※つづく
















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前回の記事に暖かい拍手コメントを寄せて下さった方々、ありがとうございます。
嬉しくて不覚にも泣くところでした。
本当に私は人の善意や思いやりといったものに飢えているんだな。と実感しました。

* *  * * *

さて、
「そんなに酷ければメンタル系のクリニックに行けばいいのに」

と、思うのですが、躊躇している訳は以前書いた
精神疾患に理解と知識が無い土地柄
と云う事ばかりでは無く

実は私、ハゲと結婚するかなり前に鬱病を患った事がありまして、

自分で調べて探した精神病院が


頭が完全にあっち側にイッちゃってる人を外界から隔離する為の施設

だったんです。
つまり、痴呆症やら重度のアルコール依存性で脳がやられてる人とか……

まあ、入った途端に“間違った感”はありましたが、藁にもすがる思いで診察して貰いました。

幸いにもそこの医師はいい人で、親身になって問診してくれましたし、薬も出してくれましたし
「薬が無くなる1週間後くらいにまた来てください」
と、云ってくれました。

……なんだ、普通の病院と同じだ。勇気を持って受診してみて良かった……

と思ったんですが

2回目に行った時、職員達が

「ねえ、あの人面会?」
「患者なんだってさ、鬱なんだってー」
「鬱ー?あはは」

などと私のことを嗤っているのがカンに触りまして、その日を最後に行かなくなりました。

一言、
「あのね、ここはそういった“治る可能性の高いちょっとした鬱病程度”の人の来る病院じゃなくて、“もう人としてやっていけない人”の為の施設なの。悪いけど他に行ってくれる?」
と、云ってくれればいいものを。

しかし、抗鬱剤は効いているような気がするので
何とか薬だけでも貰えないものか?と、病院を探していたら
結構遠かったんですが、個人医院を見つけました。

建てたばかりのような新しくて綺麗なこじんまりとした建物だし、何と云っても個人医院ですから、最初に行った病院とは全く違う、それこそ“ちょっとした鬱病程度の人”でも快く受け入れてくれる病院のような気がしました。

受け付けの人の対応も普通の個人病院と同じでしたし、最初の病院のように患者を遠巻きに見て嗤う等と云う失礼な事はしません。

すっかり安心して診察室に入ると……

医者が怪訝な顔で私を睨んでいます。
「何?何処が悪いの?」
「え……かなり前から鬱っぽくて」
「鬱?気のせいじゃないの?」

はあ?

え……と、ここ、精神科ですよね?
先生、精神科の専門医ですよね?

と、云う言葉をぐっと呑み込み、問診を受けましたが、

「アンタ、
頑張りが足りないんだよ」
「そんなんじゃ
この先生きていけないよ
「兎に角
頑張りなさいよ

あー……

これを読んでる皆さんならお分かりでしょうが、鬱病の人に
頑張れは禁句なんですよね。
それを医者が云うなんて。

怒りよりもクエスチョンマークが次から次へと湧き出てきます。

その医者の印象を解りやすく云うと、

医師免許とったんだから開業しろと回りがウルサイから取り敢えず誰も来ないような“精神科”の看板出したのに患者がやって来ちゃってイライラしている高学歴ニート

って感じです。

取り敢えず薬は貰えたのでよしとして病院を後にしましたが、

何だか


鬱を治す為に病院へ行ったのに、病院に行く度に鬱が酷くなる。

ので、通院は止めました。


思えば、私が得た“精神科”の情報やイメージは東京などの都市部などメンタル系疾患に理解や知識がある地方のものです。
それを青森(当時は青森に住んでた)の超ド田舎に当て嵌めようとした私が無茶だったんです。

で、今住んでいる岩手県南部も青森に負けず劣らずド田舎なので、例え“精神科”“心療内科”“メンタルクリニック”などの看板を見ても信用出来ないんです。


因みに、その時の鬱は
営業の仕事を辞めたり、性格の合わない友達との付き合いを止める事によって治りました。

後天性の精神疾患は通院や投薬よりも
原因を絶てば治る
というのが私の持論です。

て、事はカサンドラ症候群も

ハゲと離婚すれば治る

ハゲとババアが死ねば治る

と云う答えが導き出せます。

……( ̄▽ ̄;)



いや、でも
本当に良い病院があれば行ってみたいって気持ちはあります。


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